今週のお題「理想の老後」
西太后さまと毎日を過ごしておりますと、自分の将来を目の当たりにしているようで、切なくなる時もあります。
私も、こんな風にボケてくるのかしら、とか、こんな風に歩けなくなるのかしら、とか、こんな風に我儘になるのかしら、とか、とか。
でも、ぼんやりと老後をイメージするのではなく、数十年後に必ずこんな風になるのだと、しっかり自覚できるようにもなります。
それまでに、やっておきたいこと。
まずは、旅行です。特に海外。好きな所へも、まだ行ったことが無い所へもどんどん行きたいです。
これまでは西太后さまと一緒に行くことが多かったのですが、今はお連れするのが難しいので、私が好きなように、好きな所へ行けるようになる頃には、きっと私の一人旅となることでしょう。
誰かと一緒の方が、楽しい事や便利なこともありますけど、私は一人旅でもそれなりに楽しめる方なので、それはそれで楽観しています。
でも、旅行、特に一人旅をしようと思うと、経済的に、時間的に、体力的に余裕が無いと難しいと思います。あと、判断力とか頭の方もしっかりしてないと。
年を取っても一人で旅をするぞ!と目標を立てて、準備することが、理想の老後に向けて私がすべきことだと、自覚することが出来るのも、西太后さまが目の前にいるおかげです。
さて、現在「老後」生活真っ最中の西太后さまですが、年に数回、海外を含む大好きな旅行に出かけ、家事も、自身の世話も女官に任せ、好きな時に起き、好きな時に寝て、食べたいものを食べ、イヤだったらゴネるし、とりあえずゴネたら女官がご機嫌を取り、都合の悪いことはすっかり忘れている。
なんてお気楽、なんて自由な毎日でしょう!
これって、ある意味「理想の老後」かもしれません。
とは言え、私が同じような老後を過ごしたいかと聞かれると、肯定は出来ません。
お仕えしてくれる女官(娘)が居ないこともありますが、誰かに女官の仕事を押し付けて、自分は何も考えずに毎日楽しく暮らしていくという「理想の老後」に、私は違和感があります。
どんな姿になっても、どんな状態になっても、西太后さまは生きている限り「母」であり、支えではあります。それは、無自覚とはいえ、私のために「死ぬに死ねない」という重荷を背負わせていると私は感じてしまいます。
私は、傲慢に聞こえるでしょうが、自分のために生きて、来るべき時が来たら自分のために静かに死ぬことが、「理想の老後」という気がしています。
最近の高齢者の多くが「老後は、子どもに迷惑かけたくない」と言うのを聞きます。それは、自分のために生きたい、子どもの都合で生かされたくないという心情も含んでいるのではないかと思います。
「理想」というのは人それぞれで、老後というのもどこからスタートするのか人それぞれです。正解がないからこそ、最期まで人生とは面白いものですね。