西太后さまと私

西太后さまとの介護生活を、女官の私がご紹介します。

心の一線

ご存知の方も多いですが、私と西太后さまは、何をするにも、どこへ行くのも、いつも一緒で、「母子分離できていない」ことを公言していたほどで、私の周囲の人はみんなそれを知っていて、受け入れてくれました。


なので、私の友人知人たちと食事会や旅行にも一緒に行って、みんなに可愛がってもらえるような母でした。

 

8カ月前から自宅介護で、点滴やオムツ交換も1人でやってきましたが、世間で言われるほど苦になるような介護ではありませんでした。優秀な介護チームのおかげで、8カ月のうちのほとんどが楽しい介護生活でした。

 

けれど、それが「毎日」だった私にとって、母と母との生活を奪われた今、何をして「毎日」を重ねたらいいのか分からなくなっています。それだけ「西太后さま」は私の全てでした。

 

「その日」から、各種手続きや自分のことなど、チャキチャキ進めてきましたが、ここに来て足が止まってしまいました。

「ちゃんと」生きて行こうとは思っていますが、今は「ちゃんと」生きるのがどんなことなのか模索中です。

 

不思議なことに、自分の中に一線があって、日常的な家事や好きな中国人アイドルや俳優を追いかけることなど、あまり考えずに出来ることはわりと普通に出来るのですが、ふとその一線を越えると、感情が揺れて何も手につかず、泣いてしまいます。

 

例えば、お大根を切って、煮て、食べる…。これだけなら問題無く繰り返しできます。
それが、ふっと、病床にあった西太后さまが「美味しいなあ」と喜んで下さったことがよぎってしまうと、もうそこから動けません。

 

やがてこの「一線」が少しずつ薄れていくのか、移動するのか分かりませんが、それまで「ちゃんと」した生活が出来るとは、今は想像も出来ません。

 

こんなことを書くと、ご心配をおかけすることになり、本当に恐縮ですが、時間しか解決しないと思うので、一人グズグズ言わせていただけると幸いです。

 

あんまり泣くと、目尻がかぶれて痛くなるのがわかりました。痛いけど、アズノール塗っておけば治るかな。